NOT≠EQUAL論

どうも、シャニでは三峰結華と杜野凛世担当のマグロPです。


タイトルにも書いたけど今回の限定三峰SSR、コミュに関してだいぶ騒がれてて私も楽しみにしてました。(結局天井しました)


ってことで今回は私なりのコミュの解釈の話です、ネタバレありありなのでそこらへんな方はご注意を。








何が、not equalなのかを一言で言ってしまうと他の解釈と同じようにアイドルの三峰結華≠女の子としての三峰結華、だと思います。


明確に恋心を自覚し、なおもそれを受けて雨の日の答えをくれて、プロデューサーとアイドルという関係を定義し直した話というのが概ねの解釈です。


それだけならまぁ他にも書かれてるしブログ書かないんですけど、じゃあなんでこうなったかを自分なりに考えながら読んだけど今のところ(まぁ4つしか読んでないけど)見てないのでじゃあ書こうかという話。


一つ書いてあって解釈の補助になったのが三峰の記号といったお話。それは髪型であったり、眼鏡であったり、帽子であったりそれが無くなってる結華を見てプロデューサーが「なんだか結華じゃないみたいだ」と言ったのがそもそものきっかけ、「じゃあプロデューサーからは三峰が認識されないんじゃないか、怖い」というものでしたね。


ここでの恐れというのは「自分の恋心に自覚したことの恐れ」というよりも、私が感じたのは「自分の拠り所を失った恐怖」だと感じました。まぁ多分後者がきっかけで前者に気づいたんだろうけど。


三峰がプロデューサーに恋心を抱いた原因は「自分という存在を、定義してくれて、認識してくれたから」なんじゃないかなぁというのが今回の記事の本題。


初期のプロフィールのアイドルが好きというのも、「自分にはない『自己』や『個性』を持っているから」、カメラが好きなのは「自分という存在を写真に定義してくれるから(データとして残してくれるから)」←イメージはコードギアスのアーニャ、一人称が三峰や私で定まってないのもそういうところから来てるんじゃないかなと考えています。



だからプロデューサーに結華って呼ばせてて、それを今回止めて欲しかったのは「自分がプロデューサーに呼ばれなくても、自己を確立するため」みたいな妄想です。だから恋心含めて「むしろ自分で落とし所見つけないといけないやつだから」に繋がってる。


コミュ3、「(二度目の)答えをくれた」となってるように1度目の答えが存在してて、それは当然初めてPと出会った日の事を指してる。じゃあその問いと答えは何かと言うと。


Q.私(三峰結華)とは何者か?

A1.Pが見出した(定義した、認識した)人


で、今回のコミュで三峰は再度同じ問いに悩まされるわけです。「Pが『三峰じゃないみたい』と言われたら自分は何者なんだろう」と拠り所を失ってしまったんですね。


Q.私(三峰結華)とは何者か?

A2.Pが『アイドルとして』見出した人


これは三峰にとって安心できる答えであり、同時に絶望的な答えとも考えられます。だって「私はアイドルとしてはPに定義してもらえている(しかもかなりの信頼感を持って)」しかし同時に、「私は女の子として、1人の人間としては定義されてない」のだから。


だからnot equalのその意味とは。


「三峰が考えてる『三峰結華』という存在」≠「Pが考えてる『三峰結華』という存在」


そのズレから始まった今回のコミュだからnot equal三峰結華なんじゃないかなと個人的には考えました。


そしてコミュ読めばわかりますが、そのズレは三峰側がPの求めるアイドル、三峰結華に合わせます。つまり、自分の今までの認識が間違い、だからこそガシャ登場の一言が「私たちはこれで正解……だと思わない?」になるのかなぁと。


そして、アイドルとして振舞うことによって憧れの存在、つまり女の子から憧れられ、Pからは求められるアイドルとしての道を踏み出したということになるのが今回の主軸だと思います。


これが彼女にとってどういう選択になるかは分かりませんが、たしかに重要な分岐点となるコミュであることは間違い無いと思います。(なんでこれ限定なんだよ運営)


これから先、どのような方向に彼女が進んでいくかは分かりません。メタな視点から言えばキャラクターという存在上答えは出ないままサービスは終了することもあると思います。


しかもこれは、三峰のアイドルとしての方向性ではなくて三峰の個人としての方向性を見せてくるんだからずるいなぁとか、アイドルゲームとしてそれは良いのか?とか思ったり思わなかったり。


でも、願わくば、どのような方向性であっても、最後には三峰結華が笑ってるような、そんな未来が待ってることを祈ってこの駄文を閉じたいと思います。