人はなぜ怪文書に惹かれるのか

どうも、この三連休は充電期間のマグロです。


暇なんで何か書くかという機運でアンケートしたら怪文書について書けよと言われたので今日はそんなお話。


このブログまで足を運んでる方は同類かと思われますが、自分はいわゆるオタクの書く文章がかなり好きです。それはコミュの解釈であったり、ライブのあまり筋の通ってない感想だったり、風俗レポだったり様々ですけも基本的に選り好みせず流れてきたのを読んでいます。(あんまり自分から探しには行かないけど)


じゃあなんで怪文書が好きなんだろ、とか、あまつさえ自分でも書いているんだろうとかいうそんな話。


自分の場合、昔から本を読むことが好きでした。それは小説に限らず、新書系やエッセイなど中高の時は色々と読んでいました。(大学の図書館が専門書しかなくて最近ご無沙汰)なぜかと考えると、それは自分の知らない世界が広がっていくからかなぁと。ファンタジー小説だとその独特の世界観、新書だと知識、エッセイだと経験。そういう知的好奇心が満たされるのが本当に好きですね。


で、オタクの怪文書がなぜ好きかってもう一段階あって。それはちょっと矛盾してるようですけど根本的に「自分とかなり似た価値観を持っている」というのが前提としてあることだと考えてます。


自分と「同じ」好きで、自分と「同じ」コミュやライブを見て、でもそこから考えることが「違う」


それってすっごく面白いことじゃないですか?


自分と同じ経験をしたはずなのに結論が違う、もしくは全く違う経験したのに結論が同じなどそういうことに私はすごく惹かれるから怪文書を読み続けるのかなと。(あとオタク特有の過剰表現すこ)


で、ここから蛇足でなんで自分も書いてるのかって。

かつて、自分をこの道に引きずり込んだ主人公、ルルーシュランペルージはこう言いました。

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」と。


自分のよくわかんない文章でもしかしたら誰か自分の好きな文章を産み出してくれる、そういう可能性も考えて日々駄文やよくわからない事を呟いています。


今はいい時代になったものです。本を買わなくてもちょっとスマホを開けばSS書きさんのかいた小説が読めるし、リアルタイムで産み出される文章にアクセスできる。恵まれた時代に産まれたなと思っております。


あと自分の好きなことを公表しておくと「お、こいつこれ好きやったな流したろ!」っていう回覧板が回ってくることもあるのでそれも期待しています。


だからこれを最後まで読んだ方は是非上条春菜高垣楓と三峰結華、それと年上系と眼鏡っ娘に関するものは流してください。くれぐれもよろしくお願いします。